タバコについて
たばこの歴史
たばこのはじまり
誰もが一度は目にして知っているタバコですが、そもそもどのような経緯で世界中に広まり、親しまれているのかを知っている人は少ないと思います。ここでは、そのタバコの歴史について触れてみたいと思います。
日常、私たちが手にする各種の製品タバコは、ナス科のタバコ属の植物を原料としています。その起源は、新大陸(=古代アメリカ大陸)にあると考えられており、「ニコチアナ・タバカム」という植物として栽培されていました。現在ではたくさんのタバコが栽培されていますが、これらの大半が「ニコチアナ・タバカム」の種に属します。これが現代のタバコの製造に欠かせないタバコの祖先なのです。
では、このタバコがどのようなきっかけで世界に広まっていったのでしょうか。勘の良い方は「新大陸」という言葉でお気づきだと思います。そうです、コロンブスの上陸によって、ヨーロッパに持ち込まれて広まっていったのです。特にスペインはタバコで財を成した国でもあり、資源の豊富な南米の各地を次々と植民地化し、現地で盛んにタバコを栽培させました。16~17世紀前半まで、世界のタバコ貿易を独占することになっていたのです。
このころは「嗅ぎタバコ」と言って、たばこの葉を粉末状にして鼻孔に塗布し、その香りを嗅ぐものが主流でした。しかし、植民地で先住民たちが行う喫煙風景を目撃することで、自国の文化に取り入れていきました。それが「葉巻」と「巻たばこ」による喫煙です。18世紀に入ると「嗅ぎたばこ」が下火になり、「葉巻」と「巻たばこ」が主流になっていきます。やがて19世紀になると「たばこ」を巻くのに適した紙が世に出てきたことから、各国が「シガレット=(紙巻たばこ)」を生産するようになり、現在の私たちが目にする「タバコ」の原形が普及していったのです。
日本でのたばこについて
では、我が国日本ではどのように伝わり、広まり、現在に至るのでしょうか。タバコが日本に渡来したのは16~17世紀にかけてといわれています。ポルトガル人の種子島漂着から始まったヨーロッパ諸国との南蛮貿易です。よく知られているものは、鉄砲やキリスト教などがありますが、そのなかに「タバコ」も伝えられたといわれています。
そして、そのタバコと最初に出会った人物として記録上に残るのが、江戸幕府を開いた徳川家康であるといわれています。家康が征夷大将軍に即位する以前の日本では、豊臣秀吉によってキリスト教が禁圧されていました。このためスペイン人であるフランシスコ会の修道士ヘロニモ・デ・ヘススが日本とスペインとの間に友好関係を結ぶために、家康に贈られたといわれています。
その後、庶民の間にも喫煙風習が広がり始めましたが、徳川幕府はたばこの禁令を発します。その目的はタバコ自体への非難とは異なる理由でした。その一つ目の理由としては、反社会的な浪人集団が「たばこ」を徒党のシンボルとしていたこと。二つ目の理由としては、喫煙の広まりにより「たばこ」を栽培する農家が増加して、幕府としては年貢米の確保に不安を覚えたということです。
しかし、幕府による度重なる禁令にも関わらずたばこを楽しむ人々は増え続け、やがて禁令は形骸化し、徳川綱吉が将軍を務めた頃(1688~1703年)には、新たな禁令は出されなくなりました。こうして「たばこ」は庶民を中心に嗜好品として親しまれながら、独自の文化を形作っていくこととなりました。
このように江戸時代では、庶民の嗜好品として親しまれ、「キセル」による喫煙が主流でした。この後、明治期になると社会の変化に呼応するように、「たばこ」文化も大きな変革を遂げていきます。19世紀後半に欧米で本格的に作られるようになった「紙巻たばこ=(シガレット)」が日本に登場したのが明治時代(1868~1912年)なのです。輸入品の「紙巻たばこ」はその手軽さも手伝い、“ハイカラ”のシンボルとして注目を集めました。
やがて国内の新しい産業へと成長し、たばこの栽培製造販売も本格化し、それにつれて喫煙習慣も更に広がったといわれています。しかし、このことにより年少者にも喫煙が広がり、明治27年に「小学校での喫煙を禁ずる」との訓令が出されました。そして、明治33年に健全な青少年の育成を目的として「未成年者喫煙禁止法」が施行され現在に至っています。ここからたばこは二十歳以上の成人のみということが明確になったのです。
たばこによる健康への影響について
では、たばこの健康影響について関心が向けられるようになったのはいつ頃からなのでしょうか。それは1930年代になって、肺がんの急激な増加がみられるようになったことから、たばことの関連が疑われ多くの疫学調査が行われました。その結果喫煙者が肺がんに罹りやすいことが明らかになり、同時に他の癌に罹るリスクも高いことが明らかになりました。日本でも1965年に「喫煙と健康に関する追跡調査」が開始され、喫煙者の方が非喫煙者よりも肺がんなどの死亡率が高いことが示されました。1987年には当時の厚生省が「喫煙と健康問題に関する報告書(たばこ白書)」を作成し、たばこの有害性を明らかにしています。「喫煙による健康への影響」が明らかになってきたことにより、世界保健機関(WHO)は1970年の総会を機に各国政府に積極的に喫煙規制対策をとるように勧告を行ってきました。1988年には「世界禁煙デー」も設けられました。(現在は5/31です)
日本ではたばこ包装への注意事項や「タール・ニコチン量」表示などが行われてきたが、表示が小さいため、警告になっていないという指摘がされてきました。
その後2002年に「健康日本21」において、「たばこの健康への影響に関する情報提供」、「未成年者の喫煙防止」、「受動喫煙の害を排除・減少させるための環境つくり」、「禁煙希望者に対する禁煙支援」などの目的が設定されて、公共機関での分煙やたばこ広告の規制などが始まりました。このことにより現在多くのお店などでの分煙、歩行喫煙の禁止などがされています。そしてタバコのコマーシャル、広告が世の中から消えていきました。
さらに2003年には、たばこ事業法改正で具体的に健康への危険性を示すことが義務付けられて、たばこ包装の「注意書き」を、「肺がんの原因の1つ」「心筋梗塞の危険性を高める」「乳幼児や子ども、お年寄りの健康に悪影響を及ぼす」など、より具体的に目立つ表記に変わりました。
相模原市では、市内各鉄道駅周辺などの指定する地区での路上喫煙を禁止する「路上喫煙の防止に関する条例」を平成24年10月1日から施行しています。また、平成25年4月1日からは橋本駅周辺、相模原駅周辺、相模大野駅周辺の路上喫煙重点禁止地区では、路上喫煙中止の命令に従わなかった違反者に対し、2,000円の過料を適用しています。
参考文献:JTホームページ、日本学校保健会ホームページ